vol.300 70年代の話し
2024-09-21
・古川くんのバイト時代の話し
・70年代の話し
・吉田拓郎の存在
・西郷輝彦の天命
・西郷輝彦のカルマ
・神が降りた時代の漫画作品
・吉田拓郎はご褒美の人生
・新宿駅のデモ
川口さんの時にしゃべろうと思ったんだけど。
昔、私がですね、ラーメンの麺の配送とか、色んなバイトやったんすよ、あとビルの清掃とか、いろんなことをやった。
あとほら、新宿の歌舞伎町で呼び込みとかね。土方もやったしもちろん、それは一番最初の仕事だよね。いろいろなことをやっていたんだけれども、その中で少し楽な仕事が来たんですよ。それがね、ビルの管備員だったの、警備員というかね、宿直の驚備員だったのね。
あれはいつ頃だったっけね?やっぱ若い頃だから、ハタチ代で、70年代だよね。
だから70年代やっぱいろいろなことあって、それを年寄りの私がですね、70年代はこうだったよとかいうほど、ボケちゃいないんだけども。その当時は結構親しんでいたものに、吉田拓郎がいたよね、吉田拓郎の歌。その前はね、あれなんだよ、歌謡曲で西郷輝彦とか舟木一夫とか居たじゃないですか。あの辺をどっぷりだった、西郷輝彦どっぷりだよね。
西郷輝彦はね
あのー、あれだよあの人変わった人でね。青春歌謡歌ったじゃないですか、で、ハンサムで声もいいし、歌も上手だったんすよ、すごい。だんだんとなんつうの?アクターというか俳優の方に移ってたよね、だんだん。で、最終的にあのなんつうの?あのあれ、時代劇とかあっちの方へ行っちゃって。そういう傾向を持っている人なんすよあの方は、もともとね。
だから本来は青春歌謡の人なんですよ、本当は。つうかね天命がそうなんだよ、ほんとは。
ただ、あの方が持っているカルマというのは、もう亡くなったから言っちゃうけど、亡くなる前は言えなかったんだけど。
あの方の好きな女性というのは、そういうその清楚な女性とかじゃなくて、今でいうボインボインとかでそういう感じ(※辺見マリの写真画像)
だから一番最初に結婚した方もそうでしょう確か。誰だっけなあ…知ってる?
「やめて~♪」とかあれ違うんかい?あれは違ったかな、あれは山本リンダだっけな。なんかそういう感じの人よ、と結婚して結局破綻しちゃったんだけれども、その奥さんが宗教の方面に走っちゃって。変な宗教に走っちゃだめだよという話なんだけれども。
吉田拓郎というのはやっぱしハマりましたよ。
当時若い人はみんなじゃないけど、大概ハマったんじゃないかね。
やっぱ天才だよね。
あの一漫画なんかでも、僕はよく萩尾望都とか山岸凉子とか、大島弓子とかね、当時神が降りた時代ってのがあって。萩尾さんの『ポー(の一族)』とかね、大島さんの『チビ猫(綿の国星)』とか、山岸さんの…まあ『アラベスク』より後だね、何だろう?ちょっと今ぱっと出てこないけど、『日出処の天子』のちょっと前かね。それぐらいはやっぱ神が降りてたよね。
で、吉田拓郎にもやっぱ神が降りてたのよ。
で、西郷輝彦は歌謡曲をやってる時は神が降りてた、やっぱね。天命に沿ってたから。
吉田拓郎はとにかくね、あの人はご褒美の人生なんだよ。とにかく自分の生きたいように生きられるような人生なんだよね。
だから羨ましいよね。
僕も正直羨ましかったよ、あんまり羨ましいという感じはほとんど出ないんだけど、拓郎さんに関してだけは時は羨ましいと思ったよね。
僕もああいう風に歌いたいし自由に歌いたいと思ったし、あの曲を作れるというのはやっぱ天才だよね。
新宿の三宿ってあるのか確か。渋谷の方にも三宿ってあるけどね、確か。
新宿にも三宿ってあるんすよ。
三宿のちょうど角っこんとこにビルがあって、そこの角っこのビルで宿直管理をやってたんですよ。夜だけ寝るってやつね。ちょうどよかったですよ僕漫画描いてたから。夜ずーっと描いてれば良いんだからね。
その時にやっぱあの一交代交代で宿直するんだけれども、その交代交代で宿直する時に僕よりちょっと年上の方で経理の勉強している方かな?がおられて。
僕が「拓郎が好きだ」って言ったら、その人がやっぱその真面目な方なんだよね。「ああいうのは嫌いだ」とかね、「なんで嫌いなんですか?」つったら「恐い」って言うんだよね。
「なんで怖いの?」っつーと何かちょっとアナーキーで暴力的だとか言うわけですよ。当時髪の毛が長くて、やっぱ70年代だからあのー安保反対とか、安保反対はもう終わってたなあ。何だっけ、何かあったんですよやっぱ安保かな?安保闘争をやってたかな70年代も。
(※安保闘争は、1959年から1960年、1970年の2度にわたり日本で行われた日米新安全保障条約締結に反対する国会議員、労働者や学生、市民及び批准そのものに反対する左翼や新左翼の運動家が参加した反政府、反米運動とそれに伴う大規模デモ運動である。)
もっと前だよね、確か68年とかじゃなかったっけね。もっと前か…62年か。62年だよね、安保、確か安保は。
それがずっと続いていて、やっぱり何かあったよ。やってたよね、新宿の西口でグワー。こう、集団で。ナントカナントカとか言ってね、学生が。
安田講堂もその時あったんじゃないかね。
(※ 新宿西口広場反戦フォークゲリラ事件
1969年(昭和44年)より開催されていた反戦フォーク集会
(最大で4万人が集結したともいわれている)が通行の邪魔になるとして、機動隊と衝突。騒乱となった。以降、広場ではなく道路交通法上の「道路」と指定換えがされ、集会は禁止となった)
(※東大安田講堂事件は、全学共闘会議および新左翼の学生が東京大学本郷キャンパス安田講堂を占拠していた事件と、大学から依頼を受けた警視庁が約8500人もの機動隊を導入して1969年1月18日から1月19日に封鎖解除を行った事件である。)
で、この次は次回またちょっとお話しします。